1.院代、祈祷を終わって、着座
2.堂童子は三ツ組みを前に、床の間(3)の神酒をすすめる。
3.院代これを頂戴して堂童子に返し、堂童子も乾杯し終わって
三つ組みは元の位置に戻す。
4.吸い物膳(輪島塗の膳に木盃を添えて)が出る。
(椀の中身は、蓮根すり下ろし宝珠揚げ、結び三つ葉、柚)
5.冷酒一巡。(錫銚子、給仕の二人にて各膳の木盃に注がれる)
6.(注がれるを見て)堂童子「お吸い物にお手をおかけ下さい」
7.(吸い物飲み終わるを見て)堂童子「御法衣をおとり下さい」
8.一同法衣を脱いで道服になり、元の座につく。
9.燗酒二巡(堂童子、三ツ組の上を院代、中を一臈にすすめ、
給仕により金銚子にて二巡し、盃はそのまま下座におかれる)
10.石盃(15)を盆にのせて各膳に配り、酒宴となる。
11.盃洗二つに半分ほど湯を入れ、
石盃を浸して春慶塗膳小にの
せて出す。
12.当役、法衣を脱ぎ道服にて接待する。
13.料理が出る(器は全て輪島塗)
イ、酢の物三種。また、塗り大椀にも入れて膳にのせて
席の中央に配す(生麩・ひたし豆・セリ)。
ロ、大平三種(煮物)。また、食籠にも入れて膳にのせ
て座の中央に配す(人参・湯葉・椎茸)。
ハ、口取り皿(ぎせい豆腐・牛蒡・くわい(*1))。
ニ、盛り込み皿(春慶塗膳にて。茶羹・けんちん巻・
きんとん・酢蓮根・ミカンをのりいれ紙に盛る)。
ホ、止め皿。なべ茸(*2)の酢味噌和えを春慶塗膳に出す
(最後の末広が廻る)。
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酢の物三種 |
大平三種 |
口取り皿 |
盛り込み皿 |
止め皿 |
14.“ざんざざんざ 浜松の音はざんざ”
“ざんざざんざ 今一の鳥居に参りた”
15.末広一巡し、当役に納められる(三巡目=一臈からその側
を一巡して後、向かい側下座より院代に至って後、当役へ)。
16.「戸隠から只今蕎麦が到着しました。」
17.膳(二つ共)を下げる。(配膳の名札を付ける)
18.本膳(輪島塗一の膳)を出し、太蕎麦が運ばれる。
・薬味木皿=焼き味噌細日模様・柚・くるみ・
生姜のみじん切り・きざみ海苔。
・木猪口=大根絞り汁
・タレ汁椀
・冷やそば椀。
そばつゆは、湯桶(二つ)に入れて各膳に給仕。
追加のそばは、高足膳で冷蕎麦二重・熱盛り二重。椀にお煮かけ(具はセリと厚揚げ)が出されました
(そばの量=六枚)。
19.湯桶にてそば湯が出る。
20.以上が終わって、お茶に煎ったあられ(*3)・黒豆(*4)
重箱二重をだす。
・6時過ぎ散会
・院代見送り
(祈祷具は、翌日道心が神饌・青銅十疋と共に届けられました)。
・配膳
・散会後、直会。
酒6升、ビール1ケース、ウィスキー1本、シャンペン1本
*1.慈姑(くわい)。根が黒くて、葉が藺(い草)に似ているので、「食べられる藺」の意味でこのように呼ばれる。一つの根に子が毎年できることから、慈しみ深い母(姑)の乳になぞられて「慈姑」の字が当てられた。毎年芽が出るようにとの願いをあらわすとされる。(→本文)
*2.ナベ茸。別名=クロカワ・ウシビタイ・ロウジン
イボタケ科クロカワ族 Boletopsis leucomelas (Fr.) Fayod
・生態 |
9月から11月初旬まで針葉樹林内の地上に群生する。 |
・形態 |
傘の径5〜15cm内外。扁平の山形から平らにひらき、中央部が凹む。傘表面は灰白色〜灰色だが、成長につれて黒っぽくなり、表面は管孔面で白色から灰色になる。肉は1cm以上の厚みがあって白く、傷つけると赤褐色に変わる。柄は長さ3〜8cm・太さ1〜3cm内外と太短い。 |
・料理のこつ |
やや苦みがあるが、そのほろ苦さを好んで賞味するところから、食通好みのキノコといわれる。酢の物や醤油の付け焼き・和え物で楽しむ。 |
この行事には、堂童子料理の伝統を、忠実に継承しようと努めるお勝手元の並々ならぬ苦労に支えられているといえます。
献立の作成にあたっては、亡母の遺稿や、初回堂童子の昭和51年時、戦前戦後を含む長い間、堂童子行事の重要な担い手であった、故・岩井三郎氏から指導を受けた事々を基本に据えて、それらの「手文」を頼りに、「昔の味」を求めながら進められました。
幾日も深夜まで悩み、いろいろな方々の知恵と力をお借りして、素材の選定・調達、そしてその都度の味見(スタッフの1人、野池さんのいわれる“実験”)を繰り返しながら、一つ一つのお料理をそれこそ渾身の力を込めて仕上げられました。
基本的に、伝統的な調理方法が、素材を最も良く活かすコツであることを体験し、信仰にも等しい先人の深い料理法の知恵に感銘し、教えられた行事でした。ただ、挿入の写真がお膳へ正しく配置されたところをお見せできず、残念に思っています。
日本人の正月行事が祖先への報恩感謝と新しい年への期待と祈りが込められたものであることもよくわかったように思います。