【お煤払い】

餅を搗く、煤を掃くというのは、正月準備の象徴的な行事であり、煤払いは、暮れの大掃除をいいます。朝の気温-4°快晴。前日までの雪の後の冷え込みが厳しく、久方ぶりに年の暮れらしく今年一番の寒さであった。

1.

儀式はお朝事終了後の午前8時から、堂童子(浄衣)、後住(黒衣)、又後住(色衣)、台家奉行5人(浄衣)により行われました。
前日夕刻、出入職高橋造園から本堂西連子窓下に運ばれた「洒摩」(シャマ)を須弥壇と導師壇の間に移し、本尊正面魔除けの網に立て掛けて準備完了。

先ず、天台奉行(院代三礼、黙祷祈念、心経三巻)の後、洒摩で弥陀、観音、勢至の三尊を各三度撫でて、三礼し、次に堂童子が同様の所作をして儀式は終了。

※洒摩

真直ぐな青竹(2間半2m30cm)に新藁を束ね、松、御幣を下げて長い箒状にしたもの。「洒」は洗い清める、「摩」はみがくの意味。

2.

その後堂童子は、後住と洒摩を担いだ道心を従えて、行列にて大勧進・大本願両寺に赴くが、本堂を出る時は「入相の鐘」がつかれます。善光寺は一年の間で、この日だけ以後の一般内陣参拝ができません。両寺では、院代・執事に洒摩を三度いただかせ、例によって三種三献の儀があって帰坊。
洒摩は堂童子宅に納められます。

本堂を出た行列

院代へ洒摩

執事へ洒摩

3.

本堂内の清掃は、本年は9時頃から11時頃まで。先ず、内々陣の諸仏具を全て内陣に運び出して、長い竿の先に束ねられたささ竹で、天蓋(テンガイ)や瓔珞(ようらく)に溜まったほこりを払い、その後電気掃除機をかけます。携わったのは、中衆一同、天台奉行、事務局職員、大本願職員、両寺出入職など総勢60人を越えていました。
年間600万人の参拝者の中、内陣参拝は60万人といわれますが、一同ほこりにまみれながら、今年も大勢の参拝に感謝し、来年もすがすがしくお参りしていただきたいとの思いが込められたお煤払いでした。

4.

善光寺では、毎年これに先立つ11月から12月初めにかけて、内々陣の畳替えを行います。い草の匂いが香しい新しい畳となってから煤払いが行われるのは、煤払いが28日と決められた伝統行事のためと思いますが、不思議な順序です。

5.

御供所では、中衆臈僧3人が、お手伝いの人と共に直会の昼食を作ります。
献立は、直径80cm余の大鍋に昆布を入れてダシをとり、一丁を四ツ切りにした厚揚げ30枚と太長芋7本を2.5cm巾に輪切りにして、酒一升、しょう油一升で味付けをします。昆布は、以前ダシ昆布を長いまま鍋底に敷いてましたが、これも食すようになり、最近は切り出し昆布などを使っていましたので、今年は上質の青板昆布を名刺大に切って用いました。
切り出し昆布と、青板昆布の違いがおわかりでしたでしょうかな?

6.

大鍋が煮上がる頃、本堂の掃除も一段落して、一同御供所に集まり、膳が運ばれて燗酒が出て直会となる。
厚揚げ、長芋、昆布等を好みに応じて食し、白米・野沢菜が出て、満腹になると茶が出て終了。

7.

本堂では、台家奉行の掃除が終わって、出入職と共に出仕部屋での直会が終わる頃、昼12時となり、中衆は本堂へ。双版開帳の後、導師壇前で双方とも労をねぎらう挨拶をし、奉行5人、堂童子、後住、又後住の順に祝儀の胴上げをして一同散会(日本人の胴上げの風習は全国に知られていますが、善光寺堂童子行事における胴上げがルーツとか)。


8.

午後は事務局職員、大本願職員、出入職などで、内陣や本堂内外の掃除が引き続いて行われました。

お手伝い

山本氏、森田氏、鈴木氏、宮原氏、伊藤氏、今井氏、斉藤氏、滝沢氏、小林さん。


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