『人皇三十四代推古天皇十年壬戌(602)四月上旬、信濃国本田善光、都の務事終り、難波の堀江にさしかかりける時、声ありて、やあ善光、怖るゝ事なかれ。我はこれ生々世々汝に機縁あって安置せられし阿弥陀仏なり。汝を待たん為、底の水屑と共に年月をふりし也。時既に至れり。汝我を具して信濃に下るべし、汝と一所に在て衆生を利益すべしと、仏勅実にあらた也。善光随喜の涙にくれて、如来を負奉りて信濃に下ける。

素より家の清き物とては臼より外なければ、此上に如来を安置し奉りて親子三人倶に朝夕恭敬し、心ばかりの供養をなし奉りける。

三十六代皇極天皇元年壬寅(642)にあたって、如来告て宣く、当国水内郡芋井郷に
我を遷すべし。是より後彼所に機縁有る也と御示現度々に及びければ、則水内卿にと遷し奉る。云々』
             (善光寺縁起)

 善光寺の年中行事については、坂井衡平氏が『趣味ある古風及び郷土の風俗を含める
もの多し』(善光寺史 長野市教育委員会)と記していますが、中でも「正月行事堂童子」は、昭和二十九年に長野市無形民俗文化財指定、昭和三十五年に国の民俗資料、昭和三十九年に長野県民俗資料の選定を受け、昭和四十二年には行事用具が長野市有形文化財にも指定されている極めてめずらしい行事です。

善光寺の開基、本田善光卿が千三百年余りもの昔、善光寺如来を自宅に迎えてお仕えしていたその姿で、如来さまのお給仕をすることと伝えられている「善光寺堂童子」の御役の年にあたり、表だっては、平成十二年十二月一日御注連張りに始まる儀式から、平成十三年六月五日「菖蒲渡し」において、仲間共有の堂童子用具(長野市文化財指定)を、次の堂童子に引き継ぐまで、それぞれ古式にのっとってつとめさせて戴き、前三カ年にわたったお役が無事大団円と相成りました。誠にありがたいことと存じております。

この堂童子ホームページは、息子の英亮が大切な学究生活を凡そ二ヶ月間中断して、堂童子の手伝いをしてくれている忙しい合間を見ながら、長野県文化財専門委員、故、米山一政氏による『長野県民俗資料調査報告書7 信濃善光寺正月行事調査報告書』長野県教育委員会発行及び『信濃善光寺秘儀 堂童子』若麻績信雄師発行等を参考引用して作ってくれました。

写真は、彼の他、滝沢さん、井上さん、森田さん、野村さん、白蓮坊敏隆さん等が撮影してくださった中から掲載致しました。

ご覧戴きました地元や全国各地の方々からは、信州の善光寺さんではこんなに貴重な行事が今もなお厳粛に伝えられているのですか、時代の変遷もあろうが日本最古の仏様を奉ずる寺としての誇りを持って永遠に継承してください、私たちの地方ではこんな風習もある等、お励ましも頂戴いただきました事は、このホームページ開設が二十一世紀の日本人の心のもちようや、伝統文化(祈り・信仰)への関心を深めて頂く為に、ささやかな参考となればとの思いがありましたので何よりの収穫であります。

私は素朴な日常生活の中にこそ、人間本来の宗教や信仰の姿があると信ずる視点から、落ち着きましたならば、このような事についても、新たな構想を加えてお届けできたらと思っております。

新世紀幕開けの年に、大切なお役と巡り会えた仏縁に感謝しながら、皆様方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
平成十三年

合 掌

平成十三年三月一日善光寺鏡善坊 若麻績 修英 拝

信州善光寺正月行事 堂 童 子 平成十二甲辰年〜平成十三辛巳年

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