牛に引かれて善光寺まいり 善光寺鏡善坊蔵 English is here


【東都 錦朝樓 萬虎 画 向榮堂 梓】(江戸時代)

目次
I. 「牛に引かれて善光寺まいり」の日常的意味
II. 錦絵
1. 原文
2. 註釈
3. 英訳
III. 『牛に引かれて善光寺まいり2004』に参加しました
I. 「牛に引かれて善光寺まいり」の日常的意味
思いがけないことが縁で、また、自身の発意でなくて、他のことに誘われて偶然によい方向に導かれることを言う(『日本国語大辞典』小学館)

『本当俚諺(ほんちょうりげん)』に、「養草に言う。昔、信濃善光寺近辺に七十にあまる姥ありしが、隣家の牛はなれて、さらしおける布を角に引きかけて、善光寺に駆け込みしを、姥おい行き、初めて霊場なることを知り、度々参詣して後生を願えり。これを、牛に善光寺まいり、といいならはす」と。

この話の原型は、12世紀前半の成立とされる、我が国最大の古代説話集『今昔物語集』にありと考えられる。また、大阪府藤井寺市小山の善光寺(浄土宗)所蔵『善光寺 曼茶羅 一幅』(桃山時代)には、布を角に引きかけてご本堂手前の石段を駆け上がる牛と、それを追いかける姥の姿が極彩色で描かれている。などからその起源を推量できると思われる。

II. 錦絵
1.原文

昔 この信濃國小縣郡に
心さがなきをんなありけり。ある日
軒ばに布をさらしけるに、いづこ
よりか 牛ひとついできて、その
角に布を引きかけてゆきけり。
をんないたくはらたちて、にくき
ものかな、その布をぬすみて なににか
するなどといかりて、その牛をおいかけて
ゆくに、牛もとくあゆみて、ついにこの
善光寺の金堂にまゐりければ、
日は入りはてて 牛はかきけすように
みえずなりぬ。されど
佛の光明は さながら
昼のごとくにて、かの牛の
よだり やがて文字のやう
にぞみえける。その文字を
よく見れば

うしとのみおもいはなちそ
  この道に
なれをみちびく おのが心を

となん有りける をんなたちまち
菩提の心をおこして
その夜は夜ひとよ
佛のみまえに 御名となへつつあかして かの布の
ゆくへを尋ぬる心は
なく、家にかへりては
ありしよのことを なげきくらしき。
その日あたりの観音の堂にもまゐりける
に、かの布は ゆくりなうそのぼさちの
みもとにぞありける。かかれば
牛と見しは 観音の化現にて
おはしけるなりとて、いよいよ
善光寺の佛を信じて めでたき往生をとげしとなん。
そのぼさちは 今に布引の観音とておはすなり。
これを よに牛にひかれて善光寺まいり とはかたりつたえしにこそ

本堂内々陣、仏舎利塔に刻まれた「牛に引かれて善光寺まいり」像
2.註釈

昔 信濃国小諸の在に、心根の悪い強欲なお婆さんが住んでおりました。

ある日(近くの布引観音の祭礼の日という)洗濯をして、軒先に布を乾していたところ、どこからともなく一頭の牛が現れて、その布を角にかけて逃げ出しました。お婆さんは怒って、その牛を追いかけて行きますと、牛はどこまでも逃げて行き、とうとう善光寺にまできてしまいました。

日が暮れて、牛は金堂の中に消えるように見えなくなりました。しかし、金堂に入ってみると、光明が昼のように輝いており、追いかけてきた牛の涎(よだれ)が、さながら文字のように光っています。読んでみると、

  『牛とのみ思いすごすな
        仏の道に
   汝を導く 己の心を(われ観世音)

の御歌でありました。

さすがのお婆さんも、今まで心の奥に眠っていた仏心が忽ち眼を開き、六十六才にして初めて仏恩の偉大なことを知って、我欲を捨て信仰の道に入ることができました。その夜は御仏の前で称名を唱えてあかし、取られた布の行方を尋ねる心も捨てて家に帰りました。

後日、近くの観音堂に詣でたところ、布は,思いがけなく堂内に安置されている観音さまお身体に掛けられているではありませんか。それを見たお婆さんは、牛と思ったのは、実は観音さまの化身であったのではと,ますます善光寺如来への信仰を深めて、極楽往生を遂げたと言うことです。

この仏さまこそ、布引観音のご本尊であり、これが世に、「牛に引かれて善光寺まいり」と語り伝えられているお話であります。

春風や 牛に引かれて 善光寺』 一 茶

3.英訳

Back in the day, the old woman lived, who was insatiate and avaricious, in the village Named komoro in province of shinano(=Nagano).

One day (later named the day of Nunobiki = cloth dragging), when she washed and had dried her cloth in the sun along the eaves, one cow appeared as if by magic and run away hooking the cloth up with his horn. Of cause she was burning with anger and trying to squeeze her cloth out of the cow, but he made a mile to the very end. Then finally they got to Zenkoji.

Day was declining and cow faded away into the Zenkoji. She set foot in and found out silver lining letter.

It said
"Never see me as just a cow.
the mind of mine let you go to Buddhism."

The impiety, though she was, welled up the emotion to sincerely believe and internalized the implications of the great buddhism. She casted aside self-interest reformed herself. She was 66years old.

She passed a night in front of the image of Buddha with praying to Amida Buddha (recite Namu Amida Butsu). She did not have the slightest interest in her cloth any more and went back home.

Few days later, when she went to the Kannon-do, there was her cloth on the statue of the Goddess of Kannon. She felt that the cow she fast met was the personification of the statue of the Goddess of Kannon. Therefore she was increasingly apt to believe in Zenkoji-Buddhism and died a gentle and easy death and went to paradise.

It's means that the Buddhist image is exactly the statue of the Goddess of Kannon. This is the story that led by a cow I go to Zenkoji temple is so well known throughout Japan.

"vernal breeze
led by a cow
I go to Zenkoji temple"
KOBAYASHI Issa

III. 『牛に引かれて善光寺まいり2004』に参加しました。
「なにはづに あらはれましゝ み光の 芦よりしげき よしみつの寺」
           近世女人の旅日記集 小田宅子『東路日記』より

北九州福岡の小田宅子さんは、天保12年(1851)53歳の時、五ヶ月間をかけて八百里(3,200km)の旅の中、善光寺へお詣りされました。

あれから150年余り過ぎて、私もその思いを少しばかり味わってみたいと思い(距離はわずか100分の1)、母娘二人、気分は古の善光寺詣でをしてきました。小雨も舞う中、初夏のさわやかな風に吹かれ、千曲川沿いは盛りの菜の花や小鳥の声を楽しみながら、浮かれ浮かれての出発でしたが、30kmの道程は結構長いものでした。川中島を経て、ビルの谷間から遙か前方に初めて善光寺(雲上殿)の影がうっすらと見えたとき、古き時代の長旅のご苦労はさぞかしと、善光寺詣でへの旅人の一途な思いが偲ばれました。

牛に引かれて、無事に善光寺までたどり着けましたよ。
さて、私も良いおばあさんになれるでしょうか?

同行二人

*道中の写真を掲載します。

戸倉上山田温泉観光協会 実行委員会の皆様 お世話になりました。ありがとうございました。

Homepageに戻る