堂童子日待大盤振舞いについて

日本人には、古来太陽を崇拝する独特の信仰があり、厄払いや健康長寿への願いなど、さまざまな願いが込められています。朝昇る太陽に向かって柏手を打つ習慣や、ご来光、日待などはその代表的なものです。

日待は、特定の日に家代々の親戚や親しい者同志が夜籠もりをして、眠らずに語り明かし日の出を拝むというもので、『庚申待』などと同一視されていました。江戸時代の庶民の間で盛んとなり、戦前まで各地で行われていましたが、今ではほとんど姿を消しております。

楽しみが少なかった昔の人々にとって、日待は娯楽の場であり、仲間の連帯感を高め合う格好の場としての役割を担っていました。

民俗学の権威、故、柳田国男氏は、こうした習慣を『まちごと』として捉えており、「まち」は「おそばにいる」こと、神仏とともに夜を明かすことで、この『まちごと』に日本の祭りの本質があると見ています。

『庚申待』は、すでに平安時代に行われており、平安初期、慈覚大師円仁の在唐記録「入唐求法巡礼行記」八三八年十月二十六日冬至の条にも「人皆眠らず。本国の正月と庚申の夜と同じ」と、平安人が庚申の日と正月は夜通し起きていたことを記しています。

善光寺堂童子日待大盤振舞いは、このような日待の催しに、平安時代の公卿や鎌倉時代の武家の祝宴などで、『大盤』と呼ばれる大きな膳の中央に松を立てて廻りに色々な料理を盛り込み、それを囲んで宴を開いたという故事を加えて、今日まで伝承されております。

ご多用のところ御光来賜りました皆様方の本年のご多幸を祈念し、今宵をごゆっくりとお過ごしくださいますよう御案内申し上げます。

合掌

御日待の儀 次第

一,一同着座
二,膳を布く
三,堂童子挨拶
四,三ツ組(上・中の盃)が一同に一巡
五,席盃を布く 燗酒を布く
六,大平(厚揚げ)を布く
七,鉢肴(からし菜・ごぼう)を布く
八,大盤肴を布く
九,末広が一同へ一巡
十,法飯・こげ湯を布く

平成十三年辛巳二00一年一月十九日

堂童子 鏡善坊 敬白