秘仏

1. 秘せられる仏像。平素は厨子の中に安置して扉を閉ざして拝観できない仏像。

2. 仏像

「如来滅後、多くの衆生ありて、仏を見ざるをもって諸々の悪法をなす。是の如き等の人々にはまさに像を観ずべし。もし像を観ずれば、我が身(仏身)を観ずると等しくして異あるならん。仏滅度の後、現在に仏なし、まさに仏像を観ずべし」(金光明経 念七仏品 後漢時代)

このように、仏像は本来礼拝を目的とするならば、仏像を隠すのは、如来の衆生済度の悲願を妨げることにならないか。なぜ、その姿を隠すのか、なぜ頑に厨子の扉を閉ざして拝することを拒むのか

3. 寺院本尊秘仏の風は、一般に奈良時代にはおこなわれず、特に奈良・飛鳥の仏像はいずれも大きく顕露であり、仏像の周囲を巡って礼拝するのが普通。

4. 鎌倉前期の図像抄など資料の中に秘仏の表記は見あたらない。従って、善光寺の前立本尊が安置されたのもこれ以降のことと思われる。

5. これに対して、推古天皇24年(616)7月、新羅国王より遣われたとする、広隆寺如意輪観音像が、霊験新たなることから、錦繍の斗帳を垂れたことや、同寺薬師寺如来像も清和天皇(858〜880)の御代以来本尊とし、勅封の秘仏である(広隆寺来由記)伝えや、名高い法隆寺救世観音像が秘仏となったのは、8〜9世紀のこととも推量されている。(「秘仏」久野 健)

6. 平安時代仁安年中(1166)、東大寺を再建した俊乗坊重源は七日七夜不断念仏の中、善光寺如来を拝したことや、善光寺仏四十八体を鋳造したといわれる尾張の僧定尊が建久6年(1195)に善光寺如来を拝したという縁起の記録などもある。(善光寺縁起)

7. 近世の資料、和州旧跡幽考巻6、夢殿救世観音の項に「錦帳深く閉ざせる秘仏にましませば也。」浮世草子には「秘仏の光堂に参るがごとく有難いと思うて」とあるように、秘仏は江戸時代の庶民信仰に定着していた。

8. 秘仏は、本尊を拝する究極のあり方。
(秘仏は、本尊仏の有する慈悲の功徳を高め、幽妙にする。聖なる仏の世界と俗なる我々の世界を結ぶ接点に現れる仏)

9. 秘仏の特徴。

(1) 宗派=密教系に多く、庶民の仏、地蔵菩薩などに秘仏は少ない、
(2) 大きさ=東大寺の大仏は無理、小像は厨子を用い意識的に俗界から遠ざけることにより仏像の威光を高める効果、
(3) 材質=木像・金銅仏に多く石像は少ない、

10. 我が国の秘仏について、神奈川文化研究所、川尻祐治氏の「全国秘仏一覧」によると、

(1) 全国に136体あり、その中、国宝は10体・重文は62体で、県別では、奈良37、京都19、滋賀18、兵庫9、大阪7、福井6、和歌山5、東京5、三重8体で、福井・東京をのぞいて奈良を中心に関西方面に集中している様子がわかる。

(2) また同代は、秘仏はほとんどが信仰上の理由、霊験あらたかな像であるがために秘仏とされるが、鎌倉時代に現れた弁天像のように、裸体であるために秘仏とすることもある。このほか、仏尊が損傷したために秘仏とすることなどもある。しかし近代の文化財保護対策の発展や、寺をはじめとする管理者の文化財保護に対する理解と情熱から、秘仏、とくに絶対的秘仏は少なくなっている。また御開帳の年を決めた秘仏も、その回数を増している傾向にある、と述べている。

我が国浄土教の阿弥陀信仰の流布

平安・鎌倉時代の末法思想と共に人々の心の支えとなった

仏説無量寿経 「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者  不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」(如来四十八願の中、第十八願 念仏往生の願)

→もし、私が仏になることができる時がきたとき、十方世界の衆生が、心から信じねがって私の國に生まれたいと欲して、十たび深く心に仏を念ずるならば、必ず我が国に生まれるであろう。もし、生まれることができないようでようであれば、私は正覚をひらいて仏にならない。ただし、五逆の大罪を犯す者と、正しい仏法を誹る者は除かれる。


観無量寿経疏四 「一心専念 弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念々不捨者 是名正定之業」(中国唐 善導大師(613〜681))

前立本尊(御開帳仏)重要文化財

1.

指定書 彫第256号 金銅阿弥陀如来及両脇侍立像 一光三尊仏(内仏殿安置)

三躯 本躯 各銅造 鍍金 中尊42.4cm 左脇侍30.5cm 右脇侍30.2cm
右を重要文化財に指定する 昭和25年8月29日 文化財保護委員会

2. 推古天皇の御代に本田善光が御本尊のお姿を写し奉ると。一説に、白雉5年(654)
秘仏の勅旨後、斉明天皇2年(656)に、本田善光自ら如来像を鋳造し、今日の前立本尊と伝える。(文永俊範記)

3. 実際は、鎌倉時代の頃と言われるが、秘仏本尊と前立本尊との関係は、その功徳 全 く同じく二体即一体の妙用をなす。

4. 鎌倉時代に、僧定尊の四十八体仏など、善光寺式阿弥陀如来像が多く鋳造される。

5. 一光三尊像

我が国最古の仏像、釈迦三尊像(法隆寺金堂釈迦三尊 推古31(623)鞍作止利作)のように、仏教が渡来し、仏像が作り始められた頃は、印相が刀印、一光三尊像がかなり多かった。源流は中国南朝時代(400年代)か。(竜門石窟)
南朝に成立し、北朝→百済→日本と伝わった?(「善光寺如来の源流」黒坂周平)

6. 印 相

中尊 阿弥陀仏。右手を前に挙げ、五本の指を伸ばして「施無畏印」を結び、左手は、下に伸ばして中指・人差し指を伸ばし、他の三指を屈して「刀印」を結ぶ。
「施無畏印」 妨げるものがない智慧(無礙智)をもって、衆生を照らし、積極的に幸福な生活を営むように導かれる「与楽」のお徳をあらわす。
「刀印」(刀剣の印) 慈悲の御手を利剣として諸々の罪障繋縛を断ち、一切衆生
を「抜苦」して、極楽にお導きくださることをあらわす。
脇侍 観音・勢至菩薩。同形。宝冠をいただき、両手を胸の前で上下に合わせて宝珠をもつ「梵匡印」を結ぶ。
「梵匡印」 梵は清浄・宝の意味。宝の小箱をもって阿弥陀仏の衆生救済の心を示す。

7. 背後には、大きな舟形光背を置き「一光三尊」の形をとる。

8. 光背と台座は後補であるが、光背の七化仏・臼座の台座など善光寺式一光三尊の様式を守っている。