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開帳・出開帳により、信者は全国に広められ、結縁が求められて、善光寺信仰は一層庶民化し、江戸文学にも奈良の大仏さまよりすぐれて、恋の仲立ちをも夢想のお告げによって成就してくださると信じられるに至る。まさに奈良の大仏が大きさで日本一とすれば、善光寺如来は小さくても題目通り、三國一の霊仏として信仰をあつめる。江戸事実小説「御入部雛羅女巻2 宝永7」
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前回平成9年の御開帳について(総括)
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国宝本堂が宝永4年(1707)に建立されて290年、阪神淡路大震災(1995.1.17)と同じ規模のマグニチュード7.4を記録し、犠牲者7,000人とも12,000人とも伝えられる大災害を被った弘化4年(1847)の善光寺大地震から150年、長野市施行100年、戦後10回目、今世紀最後の御開帳など、それぞれの史実にも大きな重みがある節目の御開帳
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開催期間4月6日(日)〜5月31日(土)の51日間、全国津々浦々から訪れた515万人余の参拝者の熱い祈りを、お身丈僅か42cm余の小さなお身体でお受けになられた善光寺如来さま。
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経典には「如来の光明は、遍く十方世界を照らして、私たち衆生をお救い下さる」(観無量寿経)とある。
長い時間、行列の中でお待ちいただいて、間近に拝んだ前立本尊さまは、先立たれた夫・妻・父母や我が子となって、在りし日の姿を思い起こさせてくださる。
それは、古くから縁起や文学・物語などにも語り継がれているように、まさに、人肌の温もりある生身(しょうじん)の如来さまがお示し下さった広大無辺のお徳そのもの。
連休のある日のこと、新潟県小千谷市から車椅子で参拝された88歳の老婦人が、長い間待って漸く拝んだ前立本尊さまを、早くに先立たれた自分の伴侶に置き換えて「おじいちゃんが待っている」といって、一生懸命手を合わせ動こうとしない姿を見て、連れの娘さんご夫婦も、老母がそうした参拝ができたことに感激して共に涙ぐんでおられた。
この不思議な出会いを御縁として、毎年、日を定めてご参拝。
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賑わう境内では、お年寄りの手を、車椅子を押す多くの若者達の姿が、誠に自然の営みとして似合っており、ホッと心和む光景でもあった。
(「御開帳に 逢うや雀も 親子連れ」一茶)
目的志向が不安定で、何を考えているのかわからないとも言われる若者達が、真剣に祈ってる姿が目立ちました。より良く生きたいと純粋に願う気持ちが、自然と手を合わせる祈りの姿を導くものであると思いました。
親子断絶、核家族と言われる中にあって、こういう微笑ましい人々を多く迎えることが出来た私たちは、ひとときの安らぎを得て幸せでした。何か新鮮な美しい光景にであった思いであった。
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善光寺は国宝として文化財であるが、保存を目的とする多くの文化財と異なる点は、善光寺如来さまは、宗教・信条を越えて、今も多くの人々の中で生き続けられておられること。
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混雑緩和と安全策の一環として新設した、車椅子用スロープが多くの参拝者にお褒めいただき、県や市など各方面から、御開帳以後もぜひ存続をとの要請を受け、文化庁では「善光寺さんにはそういう優しさが大切ですね」と「軽微な改良により」許可され、冬季長野オリンピック・パラリンピックでは、この試みをした善光寺を“barrier free temple”と世界各国が紹介した。
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我が国の国宝・重要文化財は、平成14年4月現在、建造物3,736(国宝255)・美術工芸品10,076(国宝852)、その中、彫刻は2,584(国宝124)で、仏像は美術工芸品として多くは鑑賞の対象である。(博物館などに陳列)
8〜9世紀頃秘仏となったであろうと伝えられる法隆寺東院夢殿救世観音は、絶対秘仏であった。明治17年夏、政府から伝統的美術の調査を依頼されたアメリカ人フェノロサが開扉させ、像に巻かれた8文(24m )の布を取り除いて、数百年の眠りから観音像の金色燦然とした姿をあらわされた。
フェノロサは、この時の感想を次のように述べている。「この像に於いて、最も吾人の注意を引きたるは、その美学上感嘆すべき点にあり、この像は前面よりこれを観るときは著しき尊厳なしといえども、側面よりこれを観るときは、古代ギリシャ美術の極処に達する観を呈したり」(「東亜美術史網」)と美術の対象としても最大級の感嘆を示している。
この時から、仏像は信仰の対象から、観るものへと大きく舵がとられるようになり、
特に戦後観光事業の急速な近代化も加わって、仏像鑑賞のために古寺を訪れる。しかし、仏像の美しさは単にそれだけでなく、仏像には秘められた祈りの美、信仰のもつ美しさがあるものであり、それをふりかえさせてくれる仏が、善光寺前立本尊であると思う。
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日本人の旅の多くは寺社の参拝など宗教的目的を持ったものでした。そして、参拝者目当てに街道や鉄道などの交通手段や観光施設(宿場・レクリェーション)が整えられてきた。
日本独自の仏教の花が咲く、平安鎌倉時代の頃から、善光寺信仰が盛んとなり、「遠くとも 一度は参れ善光寺 救い給うは 弥陀の誓願」と詠われて、全国から如来さまの永遠の生命に導かれて救われたいと願う人々が訪れるようになった。近年は、直接信仰と関係を持たない旅が増えても、お寺への参拝や行事の見学が多いのは、日常生活とは何か違った安らぎとか活力を求めて出かけるから。
「寺社への参拝によって、他人の目を気にした自分でない(ありのままの自分)に気づき、新たに生きる力を発揮する。…歩くことは身体の運動にもなり、雑念が次第に起こらなくなり、心が変われば病気も治る。お参りと祈りは、それによって心が安らげ、快感や幸せ感を与える物質が脳内に出る」(浜松医科大 高田明和教授等)。
その理由は感謝する心にあるように思う。
参拝の心構えは「山門を出る時、感謝の心で 合掌一礼」
平成15年御開帳は「交通手段の変革は、旅の姿を変える」といわれるように、長野新幹線が開通して初めて。約600万人の参拝を期待されている。
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学問は、疑問を持つことから始まるが、信仰は受け入れるところから始まるという。先祖の霊を慰め、父母の長寿を願い、亡くなられた人の追善供養。また、家内安全、交通安全、商売繁盛、学業成就、願い事がいっぱいある。そして、拝んだ後の晴れやかな気持ちを大切にしたい。
そして、境内を散策し、善光寺の縁起や1400年の歴史にも思いをはせてみたい。
(*長野市立城山公民館成人学校では「善光寺」講座を開設しています。)
御開帳は、人間の生と永遠の命との壮大なステージを見せてくれる。七年目に巡ってくる御開帳の年に、命が巡り合わせる輪廻についても考えてみたい。(参照 信濃毎日新聞平成3年4月6日号)
つたないホームページを最後まで御覧いただきましてありがとうございます。
御開帳への御参拝を御待ちしております。
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