善光寺の梵鐘 昭和18年2月重要美術品指定(旧法)
残したい『日本の音風景100選』の詳細


善光寺の一日は、大小さまざまな鐘や太鼓などの音をしるべとして営まれています。
特に梵鐘は、善光寺如来ご詠歌に

『極楽の 鐘の響きに目を覚まし
 五色の雲にそうぞ嬉しき』

とありますように、善光寺の鐘の音が響きわたるところを浄土とする考えがありました。そこに終の棲家を求めてできた集落が「長野」の歴史的な背景であり、人々から「善光寺さん」と親しまる所以です。混迷の現代にあって、心の豊かさが求められております折、善光寺の鐘の、心にしみ入る深遠な響きに耳を傾けながら、幸せな日々を過ごして欲しいとの祈りが込められているように思います。

・梵鐘の由来

1. 善光寺の鐘の由来については、芋井三宝記(天保11年〈1840〉3月岩下櫻園著)に「鐘楼はものに見えねば知らず、治承炎上(治承3.3.24〈1179〉)の後は 右大将家(源頼朝)建立せしめ給ひしよし縁起にみえたり」との記述があります。

2. 現在の鐘は、寛永9年〈1632〉10月15日に高橋白蓮の発願により鋳造されたが、寛永19年〈1642〉5月の火災による本堂・諸堂延焼の時破損したので、寛文如来堂落慶の翌年寛文7年〈1667〉9月11日に再造立されました。
今から335年前。現本堂建立の宝永4年〈1707〉より40年前

3. 梵鐘には、寄進者総勢1,115名もの陰刻があり、それらの人々による『一紙半銭の助成』によって造られたものであると記されています。(梵鐘の銘文 参照)
『一紙半銭の助成』とは、
「紙一枚と銭半銭」との意味から僅少の喩え。このことは、善光寺信仰が多くの庶民に支えられていた何よりの証左であります。

また、丁度4年前、善光寺の鐘によって「NAGANO冬季オリンピック大会」の開会が告げられました。サマランチ前IOC会長は、大会終了閉会式の冒頭で『善光寺の鐘の音は、未来永劫にNAGANOを、思い起こさせてくれるでしょう』と宣しました。
永遠なものに対する尊敬と平和を願う姿は、国・民族・宗教を超えたものであり、人類共通の願いであることをのべた感動の言葉でありました。

平成14年2月 善光寺鏡善坊 若麻績 修英 識

・梵鐘銘文


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信州水内郡善光寺阿弥陀如来
御宝前鐘奉冶鋳本願高橋白蓮
于時寛永九壬申天十月十五日
  大工 伊藤弥兵衛金次
右之鐘依破損重一紙半銭之以
助成令造立者也
于時寛文七丁末天九月十一日
願主 復之
   高橋白蓮
   一渓道無居士
   高橋伊之右衛門重節
   丸山五郎右衛門重利
   高橋勝右衛門重永
  大工 伊藤又兵衛金正

・梵鐘の名称

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