善光寺の一日は、大小さまざまな鐘や太鼓などの音をしるべとして営まれています。
特に梵鐘は、善光寺如来ご詠歌に
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『極楽の 鐘の響きに目を覚まし
五色の雲にそうぞ嬉しき』
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とありますように、善光寺の鐘の音が響きわたるところを浄土とする考えがありました。そこに終の棲家を求めてできた集落が「長野」の歴史的な背景であり、人々から「善光寺さん」と親しまる所以です。混迷の現代にあって、心の豊かさが求められております折、善光寺の鐘の、心にしみ入る深遠な響きに耳を傾けながら、幸せな日々を過ごして欲しいとの祈りが込められているように思います。