大晦日の晩には全国の寺で除夜の鐘が鳴らされます。
除夜の鐘は、煩悩を解脱し、罪業の消滅を祈って百八回つくとされ、中国宋の時代にはじまりました。
善光寺では、参詣する人々が一回ずつ鐘をうつことができます(要整理券)。これは、オリンピック聖火が手から手へ運ばれると同じ考えかもしれません。
煩悩とは
煩悩はサンスクリット語で「クレーシャ」(klesa)といい「心を汚し損なうもの」を意味し、心を煩わし、身を煩わす心の働きをいいます。煩悩の根源は、一般に貧(とん)・瞋(しん)・痴(ち)とされ、これを三毒といいます。
「貧」とは「むさぼり」であり、貧欲である。
「瞋」とは「目をむいて怒ること」、瞋恚(しんい)であり、嫌悪・悪意である。
「痴」とは「おろか」、真実をわきまえない痴愚である。痴はサンスクリット語でモーハ(moha)。モーハの音が「バカ」となって莫何・莫迦などと音訳され、後に「馬鹿」という当て字が使われるようになったといいます。
「百八の煩悩」とは
人間は六根という六つの感覚器官−眼・耳・鼻・舌・身・意をもっており、それぞれ六境という六つの対象−色・声・香・味・触・法を理解する。
その時、三不同−好・平・悪の受け取り方があり、その程度は染・浄の二つに分かれる。
その全てが、過去・現在・未来の三世にわたって人を煩わし悩ますことから……